ニュージーランド
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ニュージーランド のその他の用法についてはニュージーランド (曖昧さ回避)をご覧ください。
ニュージーランドは、南西太平洋の島国。2つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れてオーストラリア大陸と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがある。イギリス連邦加盟国。英連邦王国の一国。
ニュージーランド
New Zealand (英語)
Aotearoa (マオリ語)
(国旗) 国章
国の標語 : なし 1 国歌 : 神よニュージーランドを守り給え 公用語 英語、マオリ語、ニュージーランド手話
首都 ウェリントン
最大の都市 オークランド
元首
元首 エリザベス2世
総督
首相 アナンド・サティアナンド
ヘレン・クラーク
面積
総計 268,680km2(73位)
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年) 4,270,000人(122位)
人口密度 16人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年) 1,531億ニュージーランド・ドル
GDP(MER)
合計(2007年) 1,281億4,000万ドル(50位)
GDP(PPP)
合計(2007年) 1,117億2,000万ドル(57位)
1人当り 26,379ドル
独立
- 日付 イギリスより
1907年9月26日
通貨 ニュージーランド・ドル(NZD)
時間帯 UTC +12 2(DST: +13)
ccTLD NZ
国際電話番号 64
註1 : かつての標語は、"Onward"。
註2 : チャタム諸島は、ニュージーランド本土よりも45分進んでいる。
註3 :女王や総督が臨席する場合には女王陛下万歳を唄う 目次 [非表示]
1 国名
2 地理
2.1 気候
3 歴史
3.1 ポリネシア人開拓者
3.2 ヨーロッパ探検家
3.3 ワイタンギ条約以降
3.4 経済改革と行政改革
4 政治
4.1 地方行政区分
4.2 軍事
5 経済
5.1 鉱業
5.2 工業
5.3 林業
5.4 貿易
5.5 観光
5.6 農業
6 国民
6.1 民族
6.2 宗教
6.3 教育
7 文化
7.1 世界遺産
7.2 音楽
7.3 映画
7.4 スポーツ
7.5 日本との関係
7.6 祝祭日
8 参考文献
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
[編集] 国名
正式名称は、New Zealand(英語: ニュージーランド)、Aotearoa(マオリ語: アオテアロア)。略称は、NZ。
日本語の表記は、ニュージーランド。漢字による表記は、新西蘭であり、略称は、新。
New Zealandという国名の由来は、歴史を参照。また、マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲のたなびく地」という意味("ao"=「雲」、"tea"=「白」、"roa"=「長い」)で、元々は、北島のみを指す語であった。かつては、ニュージーランド全体を指すマオリ語としては、英語の New Zealand を マオリ語訳した Niu Tireni が使われていた。
ニュージーランドの国鳥キーウィ愛称は「キーウィ」(kiwi)。ニュージーランドに生息する鳥キーウィから名をとり「ニュージーランドの」という形容詞に用いられることがある。口語でのキーウィは通常「ニュージーランド人」という固有名詞に用いられる。キーウィの呼び名にニュージーランドまたはニュージーランド人を侮蔑する意味はなく、ニュージーランド側も認めている呼称である(日本を『瑞穂の国』等と呼ぶのに近い意味)。なお、外国為替の世界で使われるキーウィはニュージーランド・ドルを示す(例:kiwiまたは、kiwi dollarはNZドルのこと。為替ディーラーの間でキーウィといえばNZドルを意味する)。
[編集] 地理
ニュージーランドの衛星画像。ニュージーランドの面積は、268,680km2である。
ニュージーランドは、北島と南島の2つの主要な島と多くの小さな島々で構成される。日本の北海道と本州の形に似ている様である。北島と南島の間には、クック海峡がある。
北島(ノースアイランド)には、首都であるウェリントンがあり、政府機関および行政機関が集中している。また、同国最大の都市であるオークランドは、商業および経済の中心地となっている。オークランドは、オークランド市、マヌカウ市、ワイタケレ市、ノースショア市の4市によって構成されている。オークランドの年間降水日は100日以上で、雨の多い街である。近くの観光名所として、温泉地として有名なロトルア、タウポ、ワイトモ鍾乳洞の土蛍などが有名である。北島は、南島ほど険しい山脈はないが、火山活動が活発である。最高峰は、2,797m のルアペフ山で、活火山である。
南島(サウスアイランド)は、最も陸地面積の大きな島で、中心都市はクライストチャーチ。島の中央には「南半球のアルプス山脈」と呼ばれる南アルプス山脈がそびえる。最高峰は、3,754m のクック山(マオリ語ではアオラキ、「雲を貫く」という意味)で、その他に3,000m 以上の峯が18ある。他にもタスマン氷河、サザンアルプス、クック山、ミルフォード・サウンドのような豊かな自然も有名である。クイーンズタウンは世界的に有名な観光・保養地である。温泉地も各地に点在する。
外為・南アフリカランド
[編集] 気候
気候はほぼ全土が西岸海洋性気候に入り、夏は涼しく、冬の強烈な寒波も感じない。一年を通して温暖な気候であるが、北島・南島ともに多くのスキー場があり、世界中からスキーヤーが訪れる。南半球の地理的、気候的な条件も好まれ、世界中のスキー連盟およびスキー部の冬季強化合宿地に選ばれている。
1世帯当りの面積は約500km2。 住面積は約200km2である。
[編集] 歴史
[編集] ポリネシア人開拓者
9世紀頃、ポリネシア人開拓者が島々にやってきていて、彼らの子孫は マオリ人と呼ばれる。また、ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に行った子孫はモリオリ人と呼ばれている。モリオリ人がチャタム諸島に、ニュージーランドを経由して来たのか、他のポリネシア地域から直接渡ったのかは今でも議論がある一方、言語学的には証明がなされている(Clark, 1994, AUP ; 下部"文献"参照。)マオリ人はニュージーランド北南島(特に北島)を「アオテアロア」(長い白い雲の土地)と呼んでいた。
FX
最初の居住者はモアというダチョウに似た飛べない大きな鳥の狩猟者たちで、乱獲によりモアを15世紀までに絶滅させた。モアを餌としていたハルパゴルニスワシ(ハースト・イーグルとも。鷲の仲間で、羽を広げると3mもある史上最大の猛禽類)もモアと共に絶滅している。
民族(iwi)の縄張り(rohe)に分かれていた。マオリは海産物、植物、動物、モア、ポリネシアネズミ、サツマイモ(kumara)を食べていた。
先物取引
[編集] ヨーロッパ探検家
クックのエンデバー号のレプリカヨーロッパ人として初めてこれらの島を発見したのは、オランダ人のアベル・タスマンで、1642年12月に Heemskerck号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨、マオリとの争いがあった為に西岸をトンガへ北上し北南島西岸のスケッチをした。 彼は、最初、アントワープ出身の水夫 Jacob Le Maireが1616年に発見したチリの南の土地 だと思い、Staaten Landt("Staten Island") と地図に書いた。1643年に、 Hendrik Brouwer によって改めて調査された後、 そうでないと分かり、オランダの知識人は オランダの地名 Zeeland, ゼーラント州に因み、Nova Zeelandia(New Sealand, 新しい海の土地) とラテン語で名付け、後にオランダ語で Nieuw Zeeland と呼ばれたが、タスマンが訪れてから100年以上後、ジェームズ・クックがエンデバーで1769-1770年に訪れた時に英語で New Zealand と呼んだ。ジェームズ・クックが " Sea land " と直訳しなかったのは、オランダ語の発音の名残と、デンマークの Zealand, シェラン島(コペンハーゲンがある島)にも因んだと言われる。ジェームズ・クックはその後の第2次・第3次航海でもニュージーランドを訪れた。その時に北島・中島・南島と名付けたが、中島が今の南島に、その時の南島が今のスチュアート島になった。
FX
ワイタンギ条約締結の絵
[編集] ワイタンギ条約以降
1769年、イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行った。この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まった。その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まった。
1830年代前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると移民はさらに増加した。 1840年2月6日、イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地とした。1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧された。19世紀後半になると工業化が進んだ。
1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立した。第一次世界大戦では志願兵によるオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) を結成してガリポリの戦いに参加し、激戦を経験した。1931年にイギリス議会は、ウェストミンスター憲章を定め、自治領の独立を認めたが、ニュージーランド議会が独立を決断したのは第二次世界大戦を挟んだ1947年11月だった。また、第二次世界大戦では連合国側に立って参戦した。
[編集] 経済改革と行政改革
戦後のニュージーランドは、イギリスを主な貿易相手国とする農産物輸出国として発展し、世界に先駆け高福祉国家となる。しかし、1970年代にイギリスがECの一員としてヨーロッパ市場と結びつきが強まり、ニュージーランドは伝統的農産物市場を失い経済状況は悪化した。さらに、オイルショックが追い打ちをかけた。国民党政権は農業補助政策を維持する一方、鉱工業開発政策を開始するなど財政政策を行うもいずれも失敗し、財政状態はさらに悪化した。
1984年、労働党のデビッド・ロンギが政権を勝ち取ると、“国民の支持が得られなくともやるべきことは断行する”と固い決意のもと、政権主導の改革を押し進めた。ロンギ首相(当時)とダグラス財務大臣(当時)の改革は、ロジャーノミクスと呼ばれる経済改革につながる。主な事例として、21の国営企業(電信電話、鉄道、航空、発電、国有林、金融など)が民営化され、その多くが外国資本に売却された。大学や国立研究所は法人化され、実質無料であった学費は大幅に値上げされた。保護と規制は撤廃され、外資に門戸を開き、許認可を極力なくし、官僚の数は半減された。これらの改革はライバルの国民党が政権を奪還しても受け継がれ、ニュージーランドはきわめて規制の少ない国になった。